海洋ごみゼロの世界を目指して
2024.08.08| 国内起業
「クリーンオーシャンアンサンブル」=「きれいな海を皆で調和しながら実現していこう」。
そんな想いを込めた団体名の通り、海洋ごみがゼロになる世界を目指して、海上や海底のごみ回収システム開発や、持続的にごみが回収できるようなビジネスモデル構築に情熱を懸ける江川裕基さん。協力隊の赴任先、ブルキナファソでごみ処分場の穴を掘り続けたという逸話を持つ江川さんが、世界の海洋ごみ問題解決のために立ち上がり、行動を起こしていった物語を聞いてみた。
バックパッカーで旅をしながら目にした、ごみに埋もれた景色
「きっかけはバックパッカーでいろんな国を訪れた時です。世界のごみの現状を見ながら、どうにか廃棄物問題に貢献できないかな、と感じていました。特に医療廃棄物は、適切に処分されてない場合が多いんですよね。病気の人に使った注射針がそのまま放置されていて、これは新たな伝染病になる。一方でまだまだ使えるゴミもたくさんあって、それもずっと放置されていた。もうちょっといい仕組みを世界は作れるのではないかな、とずっと考えていました。
バックパッカーで目にした景色がずっと心に残っていたので、JICA海外協力隊でまずは任国に行き、現地の人と一緒に考えながらごみ問題を解決する活動を構築していきたいと思い応募しました」
協力隊として西アフリカのブルキナファソへ
2017年度2次隊環境教育ブルキナファソ隊員として派遣された江川さん。さまざまな途上国を訪れてきたが、ブルキナファソの景色は今までに彼が見てきた景色にはないものだった。
「第1印象は、圧倒的な途上国だということ。かやぶきの家で、電気や水道も通ってない所もあったし、電化製品が少ないので本当にタイムスリップしたような感覚でした。今までさまざまな途上国を訪問しましたが、それらの国々が発展していると思うくらいです。でも昔の伝統的なアフリカが残っていて、人もとても優しかったので、色々なギャップからの学びは多かったです。
まずはブルキナファソの生活に慣れるために、向こうのご飯を出されるがままに食べていましたが体調を崩してしまい、自分の体の作りはアフリカの人の作りとは違うということを最初に実感しました(笑)。それからは体調管理をしながら活動を進められるように、生活習慣や食事に気をつけたり、運動したりしていました」
現状ここに何があるのか、どんな人たちがこの街を作っているのか、まずはそこを知ることから始まった。イベントや、コミュニティ、学校などの現場に赴いて、自ら現地の情報を取っていかないと何も構築できない。何もかもがゼロからのスタート。人間関係を構築していくためにも、とにかく動くしかなかった。
「協力隊は基本的に予算みたいなものはないので、まずは仲良くなり、向こうが困っていることを解消しつつ、実はプロジェクトとしてこんなことを進めたいんだよね、と1人1人に回って説明をしてちょっとずつ協力者を増やしていきました。この街のために一緒にやっていかないかと。本当にちょっとずつですが、仲間を増やしていけました。人間関係を構築すると損得だけの関係性ではなくなって、あの人が言うなら手伝ってあげようという関係性がとても重要でしたね」
少しずつ現地のコミュニティに入り込むことができた。それでもやはり「外国から来たゲスト」という壁をなかなか取り払うことができなかった。そこで江川さんは驚くべき行動にでる。
ごみ処分場の穴を自ら掘る
「調査をしていくと実際に街に最終ごみ処分場がないことが分かってきました。問題改善から逆算した時に、処分場が要所であり、ここを作らなくては全ての活動の効果が薄れると感じ、市役所と環境省に処分場設立の必要性をプレゼンテーションして周りました。けれども、それだけでは何も動きませんでした。
この壁を取り払うには、ローカルの人並みに頑張っている姿を見せるしかないと思い、実際にごみ処分場の穴を掘ったんです。穴を掘っていたら、なんか面白いことやっている人がいるぞ、みたいな感じでどんどん人が集まってきて、本当にごみ問題をなんとかしたいと思っていた人も来るようになりました」
「気温が45度ぐらいなので、熱中症もそうですし、穴掘ってみると分かるんですけど水分がないので土が固くて、ツルハシでまず砕かないと掘れなくて。それに、穴を掘れば掘るほど下に行かないといけないので大変なんですよ。穴を掘るのって本当に大変だなって思いました(笑)。でも日本で穴を掘ることはきっとないし、この体験はある意味で面白かったですね」
彼が掘り続けたごみ処分場の穴は、福岡県発祥の福岡式準好気性埋立方式という微生物がごみを分解する環境負荷の低い埋立方式をモデルにした簡易ミニチュア版だ。専門家の人には「大きな規模でやらないと意味がない」と怒られたそうだが、どうにかして現地の人の心を動かすには、自分が現場で動いて実際に見せなければならない。そう思った彼の行動は、現地の人々を動かしていくきっかけとなる。
「書類やプレゼンテーションではなかなか伝わらなかった。だからもう掘るしかないと思った。掘ってダメだったらしょうがないし、やるだけやろうと。でもそこが有名な観光スポットみたいになって、環境省の局長や市役所の環境衛生課の人が見に行きたいと。そこで彼らとお酒を飲んだりして、それから話が結構進んでいきました」
しかし、任期途中で急遽帰国せざるおえなくなる。街での銃撃戦から治安の悪化。外務省からの帰国要請があり、それから1週間後には帰国することとなる。
「社会を変えたとか、何か仕組みを変えたところの手応えまではいけなかった。なんとか生み出すきっかけを作るために、処分場の穴を作ったりして、いろんな方々を巻き込んで向こうの処理システムや廃棄物マネジメントを改善したかったんですけどね」
社会課題に対して、根本的に変えるにはどうしたらいいのか、個人だから、ボランティアだからと諦めることは簡単だ。でも本質的なところに挑戦することはしんどいけれど取り組むべきだと思った。どうせやるならば、きっかけだけでも本質的な所への道を作りたいと思い続けたことは、その後の江川さんの大きな糧となる。
コロナ禍で問い直した自分の未来
「帰国後、別の仕事をしていたのですが、コロナの関係で一旦ストップした時に、“本当に自分がやりたいことって何だっけ”と、改めてもう1度自分に問い直した時がありました。その時に、自分ができるかどうかは別として、今チャレンジしなかったら死ぬ間際に絶対後悔すると思ったんです。失敗したとしても、別に何も失うものはないし、挑戦しない理由はないと思ったから一旦始めてみようと。
そして自分が本当にやりたいことは、やっぱり廃棄物問題だな、と。世界でも日本でも海洋ごみ問題がまだまだ解決されていない領域なのは分かっていたので、 逆にチャンスなんじゃないかなと思った。たくさんやることがあるんだったらどこから始めてもいいし、やりながら学んでいこうと思い、始めました」
最初にこの海洋ごみ問題をやろうとした時に、私は海のプロフェッショナルではないけれど、海岸だけではなく、将来的に海上や海底に辿り着けるような場所じゃないといけないと思ったんですよね。色々自治体に電話していく中で断られながらも、今の香川県の森組合長だけは、本当にやるんだったら全面的に協力するとおっしゃってくれた。森さんの下で修行させて頂けるなら、海の素人だけれど船が使えるようになると思ったし、海上や海底へアクセスする技術資格もなんとかなると思ったんです。そういう意味でここ、香川県に辿り着きました」
そもそも海洋ごみが地球環境にどのような影響を及ぼしているのか。
「プラスチック以前は海にごみを投棄することで処理したと思っていましたが、実はプラスチックなどはずっと海に残っていて、海洋の生態系や海洋環境を悪化させる要因になっているということがはっきり分かりました。 船舶が壊れる原因になったり、漁業の妨げになったりと経済損失も出ています。日本は海に囲まれている国なので、海への恩恵を受けているからこそ、海洋の環境が悪化するということはそのまま日本のダメージにつながることだと思っています。
プラスチックごみの何が悪いかというと、粉々になってもマイクロプラスチック化して半永久的に分解されないためにそのままずっと海に残ってしまう。それがプランクトンや魚などの食物連鎖に影響を及ぼし、巡り巡って人間にも影響を及ぼしています。プラスチック自体にも有害物質などが付着しやすくて、それがより一層、食物連鎖を悪化させていて病気の素になるともいわれています」
日常の暮らしでは海洋ごみを目にする機会が少ないからこそ、現実問題として実感しづらいかもしれない。けれども、確実に、海の生物たち、そして私たちに深刻な影響を与え始めているのだ。
クリーンオーシャンアンサンブルの歩み、そして目指す未来
2020年に活動を開始したクリーンオーシャンアンサンブルは、現在は小豆島を拠点に、一度海に流出してしまったごみをどうすればもっと効率よく大量に回収できるか、漁師の方々の知見を活用しながら海洋ごみの回収技術開発を行っている。海上に浮いているごみや海岸漂着ごみを回収しながらデータを蓄積し分析することで海洋ごみのマップを作成したり、実際にビーチでの分別型のビーチクリーン活動からのごみの再利用に向けた流れ、調査までを行っている。そうして同じ想いを持つ仲間たちと共に、事業は拡大途中だ。
「海洋ごみ問題に取り組むことはローカルな問題のように見えて、グローバルな問題だと思っています。小豆島におりますが、世界の海にいることと変わらないと思っています。世界の海洋ごみの回収を促進させるためにはこれを何かしらの方法で事業化しないといけない。そこが無理難題と言われているところだけれど、既存のビジネスモデルに当てはまらないので、新しく組み替え直し、業界の仲間と連携しながらレギュレーションを変え、お金の出し手が出る段階になるまで回収に付加価値を付け続けるということを行っています」
「今は正直実現したいことの10%もできていないし、まだまだ私たちの実力も足りていない。もっとやらないといけないと思っていて、バランスを取りながらも健全に成長するマネジメントに悩みながら構築している最中です。
この仕事はそもそも大義名文が明確なので、明らかに誰もがやった方がいいと思う問題ですよね。とはいえ、なかなか新しいアプローチができなかったところを先陣を切ってやろうとする日本人が現れたというところで、少しずつ注目されてきて、色々な方々が応援してくれるようになってきました。
初めは自分の実力不足で思い描いていたものが作れなかったけれど、今は少しずつ形になってきている。例えば回収装置もそうですけど、設計から許可取得、そして海上実証実験実施までに様々な壁がたくさんあったけれど、仲間たちとこれをクリアしてきて、自分にも実力がついてきて、思い描いていたものがだんだん実現していっているのは楽しいですね」
協力隊での経験があったからこそ実現できている今があると、彼は言う。
「ブルキナファソで挑戦したことは、失敗したことも、成功したことも、今の活動に本当にそのまま活きていますね。縁がないなら作ってしまえばいいというゼロから人間関係の構築や、知らないコミュニティに入り込む能力は、とても大事な経験だったなと思っています。協力隊での活動があったからこそ、今のクリーンオーシャンアンサンブルがあると思っています」
仲間たちと共に、海洋ごみゼロの世界へ
クリーンオーシャンアンサンブルの目指す理想の未来は「海洋ごみゼロの世界」だ。途方もないゴールかもしれないけれど、江川さんの話を聞いているとそれは実現可能な未来なのかもしれないという希望が湧き上がってくる。
「私がこの活動を始めていなかったら、会えなかったような人たちと会えるきっかけを作ってくれた、貴重な経験をすることができたという意味でもこの挑戦を支えてくれた方々へ感謝しています。また、小さいながらも自分たちのアクションで社会が変わっていくのは面白いなと思っています」
1人で始めた活動が、今では多くの仲間たちと共に同じ未来を目指している。それは業界の仲間や業界の垣根を超えた連携という形で大きな力となって、きっと海洋ごみがゼロという世界線が見えるところへ押し上げてくれるのだろう。
「1人でできないことの方が多いので、各分野のスペシャリストを巻き込んで大きなインパクトを成し遂げるのは、本当に面白いプロセスを積ませて頂いているなと思っています。そのプロセスの中で、社会課題が解決されていって、みんなで喜びを分かち合えたり、お金に繋がったり、それぞれの人生の豊かさに繋がっていくんだったら、なお嬉しいと思います。自分が作ったきっかけが、それぞれ社会にいい影響を与えて、関わった人にも何かしらのいい影響を与えることができるなら、これ以上面白いことはないなと思っています。それで、よりいい世界が見れるかもしれないですからね」
そう清々しく言い切る江川さんの物語はまだ始まったばかりだ。
海洋ごみ問題は、私たちの暮らしや世界と密接につながっている。
自然から切り離された世界にいると忘れてしまうけれど、私たちも自然の一部に生きるものとして、何ができるのか。
この地球でどう生きて、何を未来につなげ、地球に返していけるかを考え続けていくこと。
そして何よりもベストなのは「行動すること」だということを、彼の背中が教えてくれる。
「きれいな海を皆で調和しながら実現していこう」それは私たちの行動あるのみだ。
Text:Tomomi Sato