ひとりぼっちをつくらない社会をつくる
2024.10.30| 国内起業
大分県竹田市にある古民家「みんなのいえ カラフル」。子どもも高齢者も、障がいがあってもなくても、誰もが気兼ねなく集うことができる居場所でありながら、放課後デイサービスや児童発達支援も行っている「カラフル」を運営するのは、NPO法人Teto Company 理事長の奥結香さん。障がい者施設での介護福祉士を経て特別支援学校の教員へ、そしてマレーシアに渡りJICA海外協力隊として活動。帰国後は地域おこし協力隊として大分へとやってきた彼女の歩んできた道のりは、決して真っ直ぐで平らな道ではなかった。でこぼこで、上り坂下り坂のある道をひたすらに歩み続けてきた彼女は、何を想い、ここに辿り着いたのか。
彼女の根底に流れる「人と人を繋ぐ」「誰もひとりぼっちにしない」その原点を聞いた。
障がいがある人々を見つめる外の視線
「高齢者介護や認知症のことについて知りたいと思って、介護福祉士の専門学校に通っていた時に、実習で障がい者施設に行ったんです。その施設は重度の知的障がい、肢体不自由な方々の入所施設でした。介助なしには生きることが難しい姿を見た時に、ショックを受けたんですよね。
でも実習を続けていく中で出会った方々が、少し指を動かすだけで嬉しそうな表現をしてくださったり、悲しい時は思い切り泣いたり、怒る時は思い切り怒る姿を見て、私はこんなに素直に今まで生きてこれたかなと思ったし、彼らのことをすごいなと思った。それがきっかけで、この方々のために自分が役に立てることをしたいと思ったんです」
実習が終わる頃にはここで働こうと決めていた彼女は、ボランティアとアルバイトを経て、専門学校卒業を機に就職する。入所している人々との交流を通して、やりがいや幸せを感じる日々。しかし一方で、彼らに対する外の人たちの視線が気になっていた。
「彼らと一緒に外出したりする時に、周囲からじろじろ見られたり、かわいそうと思っている顔で見られることに対してすごく違和感を覚えました。なぜ差別や偏見が起こるんだろうと考えていた時に、きっと彼らと接点がないからだと思ったんです。それがきっかけで、福祉をもっと変えていきたいし、どうやったら変えられるかなと考えていました。その時私はまだ20歳で、知識や経験が足りないなと。だから10年間は色々な場所で福祉の現場を見て、知識や経験を積もうと決めました。その中の経験の1つがJICA海外協力隊への参加でした」
マレーシアで見た福祉の現場
「障がいのあるお子さんは、知らない国にひとりぼっちで取り残されたようなもんなんだよ」と、特別支援学校の教員として働いていた時に研修で教えてもらったことが心に残っていた。自分自身も言葉が通じない国で生活をしてみることで、彼らの気持ちを知るきっかけになるのではないか。そう考えた奥さんは、JICA海外協力隊の2014年度2次隊、障がい者支援の任務のためマレーシアへと飛んだ。
「行って3日目ぐらいで感じたことは、見た目は整っているけれど中見は全然整っていない印象を受けました。それは2年間の任期を終えるまでずっと同じ感想でしたね」
マレーシアでの日々は、彼女にとって辛い日々だったという。それは、言葉の壁だけではなく、障がいのある人々への関わり方が今まで自分が見てきたものとは違っていたからだ。彼らが大切に扱われていない現状を見ることは本当に悲しくて、苦しかった。
「2年間、ずっと早く日本に帰りたいと思いながら活動をしていました。言葉がうまく通じなくて、細かな気持ちの表現ができないことへのストレスは日々、積み重なっていった。でも何よりも障がいのある方々との関わり方が分からないという理由で、彼らが大事にされていなかったんです。南京錠をつけた部屋に入れられてしまったり、パニックになっているお子さんに対してわがままという捉え方で体罰を与えていたり。そういう現状を見るのが本当にしんどかった。この状況に対して自分には何ができるのか、一生懸命考えて行動したことが自分の殻を破るきっかけになり、今の自分があると思っています」
少しでもこの現場が変わるように、障がいのある人々への関わり方を伝えられるように、任期の2年間はとにかくがむしゃらに動いた。
「日本から専門家を呼び、仲間と共に600人規模のフォーラムを開催したり、ワークショップも開きました。日本にはサポートブックという障がいのあるお子さんの成育を記録していく本があるんですけれど、そのマレーシア語版を作ったりとか。
でも現地で頑張っている先生たちに対して、日本から来た私が急に指導することは難しいこともあったので、実際に障がいのある生徒さんをビデオに撮らせてもらいながら、“関わり方を変えるとこんな変化があるよ”ということを先生たちに見ていただき、伝え方も工夫しました。2年間、やったことはたくさん言えるんですけど、それでも何もできなかった悔しさの方が大きかったです」
2年間の任期を終えた時に感じた悔しさや虚無感。それでも自分なりに無我夢中に動いてやってきたことが自信となっていた。これからは自分の生まれた国で、自分の言葉で、2年という縛りもないからこそ何でもできる、これからだ。そんな熱い想いを胸に彼女は日本へと帰国する。
10年間という修行期間の終わりに
帰国後、彼女は福祉や教育以外の世界も見るために、大阪でWebの勉強やさまざまなセミナーに参加し、次のアクションへ向けての土台作りをしていた。ある日、参加したセミナーで、大分県竹田市が面白いということを耳にする。偶然にも同じ日にテレビで竹田市を見た彼女は、早速その日のうちに竹田市の市役所へとコンタクトを取り、会う約束を取り付けたのだ。
「マレーシアから帰ってきて、自分で決めた修行期間10年がもう残り1年しかない中でかなり焦っていました。自分のやりたいことは明確になっているけれど、それをどのように実現したらいいんだろうかすごく悩んでいた時です。
色々な人が集える場所を作りたいという構想を竹田市の市役所の方にプレゼンテーションをしたところ、好意的に受け止めてくださって、2017年10月に地域おこし協力隊として採用していただきました。そこからは、自分で家を探したり、協力者を探したり、どうやって運営していこうかと考えていく中で、ここの家の大家である川口さんと出会いました。川口さんとの出会いがきっかけで竹田市に来てから1年後の2018年10月に『みんなのいえ カラフル』を開所することができました」
線引きをしない、ルールを作らない
現在、NPO法人Teto Companyでは竹田市の荻町に1 か所、竹田市竹田町に1か所、世代や性別、国、障がいの有無に関わらず、誰でも気軽に立ち寄ることができる交流拠点を開所しつつ、介護が必要な障害のある方・高齢者のための共生型デイサービスや、療育を受けたい子どものための児童発達支援事業などの福祉事業も混ぜ合わせた活動を行っている。
「高齢者は高齢者、子どもは子ども、障がいがある人は障がいがある人という様に線引きしてしまうことが、お互いの偏見や差別を生み出し、相手を知らない存在にしてしまっているんですよね。ここでは、それぞれ必要なサービスを受けつつも、いろいろな方との交わりがあることをとても大切にしています」
そして、ここ「カラフル」ではルールをできるだけ作らない、というモットーもある。
「ルールを作ると、ルールを守らないといけない空気の中で、ルールに合わない人が来た時に評価してしまうし、ルールから外れることも不安になる。だからこそ、これはダメ、これはいいとはっきりルールを作らないことで、その人がその人らしくここにいることができるんじゃないかなと考えています」
それは彼女自身がルールという社会の常識から外れてはいけないというプレッシャーを感じながら、強くあろう、弱さを見せまいと生きてきたこと、それが自分を追い詰めてしまった過去があったからだ。
「完璧じゃないといけない、弱さを見せてはいけないんだと思っていた時期に、摂食障害になってしまった。自分は社会の中に存在している意味がないと思うほどに追い詰められていたんです。その時に、たまたま会ったおっちゃんの前でわんわん泣いて、弱さを見せてしまった時に彼が言ってくれたんですよね。“結香ちゃんの目は腐っていないから大丈夫だ”って。
ありのままの自分を受け止めてくれる人がいたことがきっかけで、その日からすごく前向きに少しずつ生きられるようになったという出来事がありました。だから私も、カラフルや交流拠点を作りながら、ここに来る人々が弱さをそのまま出せるような、ありのままの自分でいられる場所でありたいとずっと思っているんです」
自分が出会ったようなおっちゃんみたいな存在や場所があるだけで人は生きていける。そう実感した彼女の原点はきっとここにあるのだろう。
「評価されることなくそのままの自分を認めてくれて、弱さを見せてもいいという空間が1か所でもあるだけで、人は少し変わるような気がするし、社会も生きやすくなると思っています。そういう場所をたくさん作っていけたら世の中ががらっと変わるんじゃないかなと思う。難しいけれど、可能性はすごく感じています」
ひとりぼっちのいない地域社会をつくる
自分とは違う色々な人と出会った時に、その人の表面や行動だけを見ず、中見を見つめていこうという奥さんの想いは法人名にも込められている。
「Tetoは『風の谷のナウシカ』に出てくる、ナウシカの肩に乗っているキツネリスの名前なんです。テトとナウシカが出会った時に、最初テトはナウシカの手をガブって噛むんです。普通だったら、怒るところをナウシカが、“大丈夫、痛くない”って言う。それがきっかけで仲間になっていくシーンがあって。Tetoはナウシカとテトの関係だったり、ポルトガル語で天井という意味もあって。Companyの語源がパンを分け与える仲間というところから、Teto Companyは“同じ屋根の下でパンを分け与える仲間”なんです」
そんなTeto Companyはこれから具体的にどうしていきたいか、目指している未来を彼女にたずねてみた。
「組織を大きくしたいとか、そういう欲は全くないんですよね。ただこういう場所をいいよね、と思った方が、その人の住む地域でその人のカラーで居場所を作っていけば、さまざまな人の居場所の選択肢が増えると思うのでそれを願っています。
自分の法人が今後どうなっていくかは、出会う人によって本当に変わっていくと思っています。目の前の人が困っていることがあったとして、変えていった方がいいことだったら、それに私は取り組むと思う。次はこのステップで、こういう風にしたいというような具体的なことはまだ正直見えていません。でも“ひとりぼっちをつくらない地域社会をつくる”という法人のビジョンがあるので、それを追い続けるってことには今後も変わりないという確信があります」
様々な人と関わって生きることの愛おしさが彼女の根底に流れているのだと、奥さんの話を聞きながらふと感じた。様々な縁が折り重なって、人生を豊かにし、自分自身の物語を紡いでいく。その先はまだ見えないけれど、きっと彼女が歩む道は温かな光を纏い、その光のそばにいる人々もまた彼女との出会いを心に、自分の物語を紡いでいくのだろう。
差別や偏見は、きっと関わろうとしなかった人と人のひずみなのかもしれない。違う人々が互いを知り、そのままを認め合い、支え合いながら共生する、ひとりぼっちがいない場所づくりという希望。
地域という小さなコミュニティの中で始まった「みんなのいえ カラフル」が少しずつ輪を広げながら、その優しい世界が広がっていくことは、必ずや誰かの希望となるはずだ。
Text:Tomomi Sato