手織り布を通して、ラオスと日本をつなぐ架け橋に
2024.05.07| 海外起業
長い歴史の中で、ラオスの人々の中に息づいてきた手織り布の文化。その伝統的な織物を用いて、一つ一つ丁寧に手仕事で服として縫い上げ、日本に届けているアパレルブランド「siimee」を立ち上げた梅谷菜穂さん。
ラオス語でsiiは色、そしてmeeは母という意味がある。
ラオス人が母から受け継いできた文化、そして本当の意味でも母なる自然から生まれた色。そんな美しい文化と物語を日本にも伝えていきたい。彼女のラオスへの思い、そしてブランドへの思いについて話を聞いた。
学生時代から好きだった東南アジアの地へ
「学生の頃から東南アジアが好きで、人々の暮らしにすごく興味が湧いたんですよね。旅をした時に見た光景で、路地裏から一歩入った住宅街で家族が過ごしている様子に、あの家族は今何を話してるのかな 、日本とは違うところと同じところがきっとあるんだろうな、なんてことを思ったりしていました」
一度は会社に就職をし、東南アジア担当として働いてみたものの、学生時代に旅先で感じたローカルなコミュニティへの興味、そして現地の人々の顔を見ながら何かをしてみたいという思いが少しずつ強くなっていく。そうして彼女が選んだ選択肢は、青年海外協力隊だった。
2018年、JICAの青年海外協力隊ラオス派遣コミュニティ開発の隊員として、現地へと渡った梅谷さんの任務は、地域の特産品の製品開発や販路拡大。布の生産者の他にも竹製品や木製品の生産者のサポートに従事した。派遣された地域では、製品はローカルマーケットでの地産地消に留まっていたため、地域の生活向上として、外の人に購入してもらうための販路の開拓に勤しんでいた。そうした任期中の中で芽生えていった想いがあった。
「協力隊任期の2年の中で、自分がここにいなくなっても続く何かを築くこと(例えば販路を広げる)が成果かもしれません。でもそれだけではなくて、自分自身がその輪の中にこれからも入り続けたいなと、思うようになったんです」
そんな日々の中で、ラオスの織物と生産者との出会いが彼女の未来を大きく変えることとなる。
布本来の美しさ、そして手仕事の美しさに魅了されて
「今までは自分が着ている服がどこから来て、誰が作っているのかを意識したことがなかったのですが、ラオスでは、目の前にいる村の人が糸を布にするところから作っていた。暮らしの中で布が生まれていくことに感動したし、布本来の美しさも、手仕事の美しさにも本当に感動したんですよね。
その時に、布を作っている生産者さんの思いを聞いたことで、この織物の伝統を守りたいと思った。そしてここの暮らしや文化をもっと伝えていきたいと」
ラオスの布の美しさを伝えるために、自分は何をしたらいいのか。そんな彼女にヒントを与えたのは、現地の人々が纏っている巻きスカートだった。
「ラオスの布は元々身に纏うために使うことが一番の役割で、自分で好きな布を選んでそれを仕立ててもらって着る文化があるんですよね。服にすることが、一番その布の良さを感じることができるかもしれないし、纏う人々の人生や生活に寄り添うことになるかなと思ったんです」
「協力隊の時は人と人を繋ぐ役割に徹していたのですが、活動の中で織りや染め、縫製など手仕事をする人々と出会う中で、単純に自分も手を動かして何かを作ることにすごく興味を持った。服づくりをするならば、自分もなるべく作り手に近いところでやりたいと。口で言うことはできても、技術や知識が伴わなければ根拠がないし、一緒に手を動かすからこそ相手に伝わるものがあるかもしれない、そう思って技術を学ぼうと思ったんです」
帰国後、働きながら3年間服飾学校へ
2年の任期終了後、帰国した彼女は驚くべき選択をする。
「3年間、働きながら夜は服飾の勉強をするために文化服装学院に通いました。ちょうどコロナの時期でラオスへ行けなくなってしまったので、技術を身につけて、戻った時に物作りを軌道に乗せることができるように、いろんな服を作っていましたね。布はラオスから送ってもらったり、できたものの写真を撮って生産者さんに送って感想を聞いてみたり。とにかくラオスとコミュニケーションをとり続けることを心掛けていました」
ラオスに渡ることができない3年という準備期間。普通であればモチベーションが下がってしまいそうな環境の中、彼女はラオスへの思いを決して絶やすことはなかった。
「きっと自分のためだけの目標だったら心が折れたり、途中でやめてしまったかもしれません。でも、ラオス人の仲間たちの思いを聞いていたから。やっぱり一人じゃなくて、一緒にやりたい人がいたから頑張り続けられたんだと思います」
青年海外協力隊として、
娘のいるラオスへ赴任した父
実はこのラオスでのインタビュー時、梅谷さんの父である梅谷正人さんもまた、娘の住むラオスの地へ青年海外協力隊のコンピューター技術隊員として赴任しにきていたのだ。
「小さい頃からやりたいことは必ずやらないと気が済まない子だったのでね。ラオスに青年海外協力隊に行くことも、もう本人の希望通りにやらせるのが一番だなと(笑)。そう分かっていたので、反対せずに応援しました。任期が終わって帰ってきて、また学校に入って、一から服飾の勉強をするって言い出した時もびっくりしましたけど、あの子のことだから多少遠回りしたとしても途中で気持ちを切らさずに最後までやり通すだろうと信じていました」
娘を通して、ラオスの魅力を知った正人さんは、その後、会社を早期退職した後に、青年海外協力隊の隊員としてこの地へ赴任することを希望した。
「今、ラオスでこのように会って話ができるのは不思議な感じがしますし、すごく嬉しいですね。多分なかなか味わえないことだし、娘と一緒に異なる文化のことを共有できるという喜びがありますね」
そう笑顔で話す正人さんにラオスの地で奮闘している娘、菜穂さんへの思いを聞いた。
「誰かの役に立ちたいという所が出発点ですので、siimeeで自分の生活をしっかり成り立たせることはもちろんですが、ラオスの生産者さんたちや、チームのためにも企業としてしっかり経済的に成り立つところまで頑張って欲しいと思います。子供の頃から最後までやり通す力を持っていたので、大人になってもその姿勢を忘れずに最後まで頑張って欲しいですね」
日本での準備期間を経ていざ、ラオスの地へ
2023年3月、文化服装学院を卒業し、服づくりの技術を身につけた梅谷さんは再びラオスの地へ舞い戻る。
「戻ってきて感じたのは、今回は協力隊の時とは立場が違うということ。自分もビジネスの輪の中 に入っているので、ある意味運命共同体。自分もしっかり立って売っていかなければという責任感がものすごく強くありましたね」
「ラオスを拠点に物作りをして、日本に届けていく体制を作るにあたって、自分1人ではできないことがたくさんありました。そこで、ラオス人のパートナーとしてSAYAというブランドを運営しているカビに協力してもらうことにしました。
カビとは協力隊時代に知り合い、協力隊の時は生産者さんの研修をしてもらう講師として手伝ってもらっていた。ラオスの織や布の伝統を守りながらも新しい形にして届けたいという思いがとても通じるところがあったので、ラオスで私も起業するにあたり、相談したりアドバイスをもらったりしています。今では、かけがえのない友人であり、私の前を走っている起業家であり、憧れです」
「何かをしたいと思った時に自分1人でできることは何もないと、隊員の時も、siimeeの時も実感する時があった。それを感じてしまった瞬間の自分の無力さが本当に辛かったです。でも、そこから立ち直って、じゃあ誰かに頼ってみようかなとか、本読んでみようかなとか、自分の無力さを1回知った上で一歩踏み出す、その連続が大事なのかなと今は思います」
そうやって、1人の無力さを知った彼女には今、彼女の支えとなる大切な仲間たちがいる。
アパレルブランドとして、企業として
「ちょうど今、新しいアトリエを作っているんです。これまでは友人の場所を間借りしていたんですけれど、自分たちだけの場所を作って、そこでまた一から生産体制を作っていくところです。まずは、新しい生産体制をちゃんと確立して、物作りができるようにすること、そして作った商品をしっかり日本に届けていけるような流れを安定させていきたいですね」
ラオスの縫製チームが、絶えず作り続けることができるような生産サイクルを確立するためにはsiimeeとしてのブランドの価値を高めていく必要がある。布の価値を高めて、どのように日本に届けるか。着てもらう人にどんな付加価値をつければもっと着たいと思ってくれるか。ラオスの布の成り立ちにどうやったら興味を持ってもらえるか。日本の人々にどのようにこの魅力を伝えるか。課題は山ほどあった。
「本当に苦労しました。品質管理も生産管理も販路拡大も。日本の方々にいいなと思っていただけるような品質やデザインの服を作る仕組みづくりは今も苦労しながらやっています。
販路拡大も大きな課題なのですが、販売をどこかに委託するのではなくなるべく自分で立って販売する機会を多く持つことを大事にしていますね。ただ、売る服を見てもらうだけではなくて、その奥にある思いやストーリーを知ってもらいたいので、自分が話す場を持ったり、同じような思いを持った人と一緒にコラボレーションして見ていただく機会を増やすなどの活動をしています」
siimeeの服に織り込まれた物語
「アパレルはさまざまな問題を生み出している産業でもあります。人権問題だったり、労働力の搾取だったり。職人や技術者たちがもっと尊重されて、正当な対価を得られるようにすることが重要だと思っています。
だからこそ、生産の一つ一つの過程にも興味を持ってもらえたらいいなと思っています。原料はどういうもので、それを誰がどういう流れで布にして服にしているのか。siimeeを通して服づくりの裏側に興味を持ってもらうことも私たちの役割だと考えています」
デザインや品質のいい服をたくさん作って、たくさん売りたいのではない。袖を通す人に、服に込められた物語を感じて、大事に長く着て欲しいという気持ちが込められたsiimeeの服づくり。
そうして忙しい毎日の中でも、異国の地からやってきたsiimeeの服を纏った時に、旅しているような、純粋に心踊るようなワクワク感を感じてもらいたい。
「やっぱりワクワクしないと着続けてもらえないと思うので。ライフステージが変わっても着続けられるような普遍的なデザインを目指しつつも、ありきたりではないデザインのバランスを考えています。ずっと着て欲しいという思いを込めて、今後はsiimeeとして服の補修もやっていきたいと考えています」
siimeeを通して、ラオスと日本の価値交換を目指して
「ラオス人にとって織物は大切な伝統文化です。しかし最近は高齢化が進み、織物に取り組む人がどんどん減っている現実がある。だからこそ、 織物がずっと続けていけるように、siimeeがラオスの布を使って素敵な服 を作ることができていれば、それを見たラオス人が、ラオスの布っていいなと改めて感じてくれたり、織や布に興味を持ってくれる若い人が増えたらいいなと思っています。
日本においても“ラオスの布”という 選択肢がもっと当たり前になってほしい。今、ラオスのものを日本で売っていると支援活動ですかと言われることが多いのですが、私たちは本当に対等な目線でラオスの人と仕事をしている。ラオスと日本が同じ高さの目線で向き合えるようになるということも一つの目標にしたいですね」
siimeeのブランドが目指しているゴールは一言では言葉にできない。それは、誰かのための社会活動と言い切るのではなく、ラオスと日本それぞれにもたらすもの、価値交換があると梅谷さんは考えている。
「日本人はラオスの人々の暮らしから学ぶ ことがたくさんあると思うんですよね。ラオス人って相手に何かを与えるのを厭わない。そこに見返りを求めずに、むしろ誰かに与えたものがまた贈られていくことを願っている気がしています。
ラオスには、托鉢といって毎朝人々は早起きをして、餅米を蒸して、お坊さんにその餅米やお金を分け与えるという習慣があるんです。毎日托鉢をすることで、自分の中の魂のようなものを人に与え続ける、そこにラオス人の寛容さや穏やかさの特徴があるのかなと思います。
日本にはない価値をラオスから学ぶような価値交換みたいな思いがsiimeeの中での根幹の部分かもしれません」
「そうですね、siimeeを通して実現したいことは、ラオスと日本の人がそれぞれ相手との違いを認め合いながらも、自分のことも相手のこともそして 周りにいる人のことも大切にできる、そんな 社会を作れたらいいなと思っています」
そう微笑む梅谷さんの纏う空気は、ラオスの人々のようにゆったりと穏やかだった。
siimeeの服には物語がある。
木々に落ちるまぶしい日差し、寺院の鐘の音と街のざわめき、トゥクトゥクが砂ぼこりをあげて通り過ぎる裏通り、プルメリアの街路樹。siimeeの服を纏う時、布の記憶と共にラオスの自然や人々からの贈り物を受け取ったような、旅しているような気持ちになれるのだと思う。
ラオスの織物に恋した起業家は、ラオスと日本をつなぐ架け橋となり、旅するように生きる服を作り続けている。
Photo:Yoshihiro Nagata
Text:Tomomi Sato